5日目
10/15(土) マチュ・ピチュ遺跡へ
ホテルから、朝8時、バスで、世界遺産マチュ・ピチュ歴史保護区へ、出かける。
日中17℃。
友達も体調がすぐれず、マチュ・ピチュの入口のあたりだけで
今日の観光を、済ましてしまおうと、話し合っていた。
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それが、添乗員とガイドに励まされて、結局、2時間半、端から端まで回った。
心臓破りの坂を、ハァハァ言いながら登って
しばらくしたら目の前に突然、現れた遺跡。
2400mの山の頂に、まるで鳥瞰図のような天空都市が広がった。
上部は崩れていても、土台石は規則正しく、村を形成している。
そこに、人の往来や、生活する姿を重ねると
時を越えて、その村が、生きているかのような錯覚に陥る。何とも不思議な感覚だった。
いつの間にか、疲れが取れていた。
マチュ・ピチュ村 ホテル:エル・マピ泊
6日目
10/16(日) マチュ・ピチュ村----クスコ----リマの予定
起床朝 3時半 朝食 4時 ほとんど食べれなかった。
十分な睡眠や食事も、とらなくても
ずっと、みんなといっしょに、行動できるのかな〜?
ホテル 朝5時10分出発〜オリャンタイタンボ〜クスコと
2日前と同じコースを逆行。
クスコに着いて、世界遺産観光が約2時間という。
私、結構、限界が来ていた。
添乗員に頼んで、観光をやめ、皆さんがお昼、帰ってくるレストランで
横になって待つことにした。
夫に電話して、どうしたらいいのかと。
水だけは飲んでいると報告したら、塩をなめるように とのこと。
もっともな基本を忘れていた。
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夕方、リマに帰る予定が、リマの悪天候のため、飛行機は全部キャンセルされた。
2日後しか、飛ばないという。
予定では、明日、ブエノスアイレスに飛び、イグアスの滝観光のはずだった。
空港のカウンターには、ペルーの人たちがだんだん集まってきた。
カウンターをたたいて、叫んでいる男性の声や
甲高い女性の声も入り混じって騒然とした雰囲気。
空港警察があちこちに、姿を現したころ
人々がやっと、あきらめたのか、人の波が少しずつ引き出した。
その間中、われわれ日本人は、静かなもので
国民性の違いをまざまざとみたような気がした。
みんなが泊りのホテルを予約し始めて、添乗員も確保するのに
あちこちと大変だったようだ。
突然の泊りで、ホテルの夕食は、なしとのこと。
出かけても、食べれないし、ホテルのスタッフに頼んで
薄いパン1枚とオレンジジュースで夕食を済ませた。
その時、友達もおなかの具合が悪く、この粗食が、とてもありがたかった。
クスコ ホテル:マルケセス泊