3日目
10/13(木) リマ----ピスコ----ナスカ----リマ
朝から少し雨。
今日はいよいよ、三大絶景の一つ、ナスカの地上絵が見られる。
朝5時、セスナ機の発着時間が定まらず、予定より早く、暗いうちに出発。
リマより、海岸線に沿って、砂漠を南下する。
右の海岸沿いには、白い美しい建物がところどころに見える。別荘らしい。
養鶏場も見える。
トーモロコシ、じゃがいも、オレンジ、コットン、アルパカなどが有名。
海岸線の左側は、どの家も天井のみで屋根がなく、建てかけのように、鉄筋を残したまま。税金対策らしい。 ペルー大地震のあと、政府の手が届いていない人たち。われわれの義捐金は、いかされたのか・・・。 ピスコに着くまで、いくつかの町を通り抜けた。バスの前をゆく三輪のタクシー。50年前の日本の風景。 |
ピスコまで3〜4時間。 ピスコ飛行場からセスナに乗る。
ここに来る一か月ぐらい前、ちょうどNHKで ナスカの地上絵 ″を放映していた。
誰が何のために、2000年もの昔(日本の古墳時代にあたる)、これを描いたのか。
研究者のうなずけるような立証も推論の域を出なかった。
1時間余りの飛行中、猿とハチドリ(*)だけは一瞬だけれど、この目に焼き付けた。
が、カメラには、それをとらえることは出来なかった。
それぞれの絵のラインが、ぼやけている。
パイロットが、 ○○○ ″ ○○○ ″と日本語でいうのを聞いて
見たときには、もう過ぎている。
あ〜あという残念な思いで、この観光は終わり。
(*)スズメより小さく、高速で羽ばたいて空中で静止できる。
長いくちばしで蜜を吸う。蜂のようにブンブン羽音をたてる
新鮮な魚介のマリネの前菜(セビーチェ)とメインの魚のハーブ焼き(エスパーラ)は ペルーの代表的なお料理。このほか、ルクマ(紫色とうもろこし)のチョコ。 地上絵は残念だったが、昼食は、二重丸。 |
シェラトン リマホテル泊
4日目
10/14(金) マチュ・ピチュ村へ リマ----クスコ----マチュ・ピチュ村
朝、4時半起床。朝が早くて、前日の疲れが取れぬまま、またもや、睡眠不足。
スーツケースをリマに置いたまま、2日分の身の回り品をもって出かけた。
ビニールカッパや傘を入れたバッグは、重い。
リマ空港より1時間15分で、インカ帝国の首都であった世界遺産の街、クスコへ。
標高3400mにあっては、空気が薄いのか、ちょっと息苦しい。
すでに酸素ボンベはもらっていたが、使うほどでもなかった。
出発前、高山病対策として
自分のペースで歩く。 ゆっくり歩く。 重いものを持たない。 常に水分補給する。
疲れたり、息がパクパクしたら深呼吸する。 心配しすぎない。
など、気を付けるよう、言われていた。
美しい山・雲・空 | この土産物屋の横にレストランがあり 早くにランチボックスをたのんでいた。が 約束どおり出来てなくて 高原列車にもうちょっとで 乗り遅れそうになった |
われわれはバスと高原列車を 乗り継いで行くが ジグザグに見えているインカ古道を 行けば、マチュ・ピチュまで 3〜4日、かかるという |
鉄道の一番下のクスコから 終点のマチュ・ピチュまで 高原列車が行く |
すれ違いの列車も指定席が満席だった お互いカメラを向けたり、手を振ったり |
クスコ--(バス2時間)--オリャンタイタンボ--(高原列車1時間半)--
アグアスカリエンテス(マチュ・ピチュ村のあるところ2000m)
高原列車の中で、ランチボックスをもらって、少し食べたが
途中、全部、もどしてしまった。 寝不足のせいかと思うところが生来ののんき者。
まさしく、立派な高山病になっていた。
マチュ・ピチュ村 ホテル:エル・マピ泊