5/26(水) 第5日目 スプリットの町〜ドブロヴニクへ
9:00AM 出発。 専用バスで15分、スプリットの町へ入った。
アドリア海沿岸の観光都市で最大の港町。
ローマ皇帝ディオクレティアヌスの宮殿を見学。
AD3世紀、皇帝が退位後の余生を送るために建てた宮殿である。
ローマ帝国が滅亡し、異民族が押し寄せてきた7世紀の頃、
近くに住む人々が、この宮殿に避難してきた。
そのあと、そのまま住みつき、12世紀〜14世紀には
自治都市として、繁栄した。
古代ローマの城壁の中に、中世の建築が混在し
そのままの状態で、そこに現代人が調和して住んでいる。
後の世に伝えていこうとするその精神性はすばらしいものである。
293年、皇帝が建てた宮殿の全景図 ガイドの話 ローマ皇帝の中で初めて、自らの意思で 引退した皇帝 313年、キリスト教が認められるまで その信者を殺した |
その地下は 上の建物を支えるための頑丈な石柱になっていた 中世になると、ここは、倉庫になったり、 ワイン作りの場に又、だんだん人が集まると ここがゴミ捨て場と化していった (第2次世界大戦までこんな状態だったらしい) |
ロマネスク様式の鐘楼とその右に八角形の大聖堂 左はミュージアム |
連なる城壁は当時のまま 今も、レストラン、キャフェなどに使われている この真ん中あたりから旧市街に入っていく |
城壁の中は勝手に手を加えられないが、 公的に、いろいろ補助してもらえるとか 白い洗濯ものに生活感がただよう |
古代ギリシャ建築の様式・コリント様式 細い縦のみぞが彫られた柱の上部が 繊細にして華麗 |
1:25PM スプリット出発。 ドブロヴニクまで、バスで約4時間半ぐらい、かかる。
ドブロヴニクにいくまでの海岸線は、マカルスカ・リビエラといわれる沿岸リゾート地。
この海岸線を走っていると、常に右手に島々が見える。
これらは独自の文化・伝統を守り、それを継承していると聞く。
きれいな水、美しいビーチに世界中の人々が、バカンスにやってくるのもわかる。
新しい橋と新しいドブロヴニクが見えた。世界の人々がクルーズでやってくるので 国の通貨クーナだけでなく、ユーロも使えるらしい |
途中、時々、カメラストップやトイレタイムをとりながら
4:50PMには、クロアチアとボスニアの国境を通過した。
ボスニアといっても、70%はクロアチア系とかで、建物も何ら、変わりなし。
ドブロヴニクは飛び地のような状態なので、5:37PM、再度、クロアチアに入る。
ドブロヴニクに到着。
旧市街が見えるレストランで、シーフード料理の夕食。
ホテル グランドヴィラ アルゼンティーナ ドブロヴニク泊
5/27(木) 第6日目 半日 ドブロヴニクの観光
徒歩で旧市街へ。 小さな、はね橋を渡って、城壁の中へ入る。
入ってすぐに、"オノフリオの噴水"。
1438年、ナポリの建築家オノフリオによって、上下水道が造られた。
旧市街を一望できるスルジ山から、その湧き水を引いたと言われる。
今も飲むことができる。
公衆衛生も考えていたその意識の高さに感心した。
フランシスコ会修道院、スポンザ宮殿を見て、11時前に観光終わり。
そのあと、自由行動。
旧市街のドブロヴニク 高い城壁で囲まれている |
プロチェ門から、真ん中のアーチの橋を右へ渡ると ホテルの方向 このあたりは、旧港 |
町の中心・プラツァ通り 建物も道路も石灰岩で出来ている この通りの両側に、細い路地が何本も延びていて お店やレストランが軒を並べている |
1667年の大地震で、倒壊しなかったスポンザ宮殿 現在は貴重な古文書を保管する古文書館 |
自由行動といっても、そんなに動き回れる場所も体力もなかった。
夜のことを考え、遅めのお昼は、ピザとサンドイッチを4人で分けた。
ガイドさんに、ここには、ネクタイ発祥の地(店CROATA)があると
聞いていたので、皆で行ってみた。
旅先では、ちょっと気が大きくなるもので、少し高いかなと思いながらも、夫に1本。
多分、喜んでくれるでしょう。
どこの観光地も、よく似たものを売っている。 見るのにも飽きた頃、又、ディナータイム。
今まで、3食ついているのはいいけれど、好き嫌い、いえないのが難。
今夜は、好きなものを!!と、みんなで勇んで探したけれど、そう、大差はなかった。
せめて、人のぞろぞろ通らない、静かなレストランにしょうと。
味はまあまあでした。
シーフードといえば スズキのムニエルとじゃがいもが普通 スカンピえびとムール貝、サラダを追加した ムール貝の身が余りにもやせて小さかった スカンピは手ばかりが長く、身は、かき揚げ程度 サラダにカニ棒が・・・こんなところにまで日本の技が・・・ |
前日と同じ アルジェンティーナ ドブロヴニク泊