下 関
1/6(水) 熊本 9:28発→博多乗り継ぎに2時間半くらい取り、博多の町を見る
→小倉 13:57発→門司港 15:30発フェリー〜〜〜〜下関 15:35着
博多に降り立ったのは初めて。
2時間くらいで回れる観光バスはなく、駅で教えてもらった櫛田神社まで
歩くことにした。
でも、途中、寒いのと効率が悪いと気づき、タクシーで回ることにする。
メイン道路が広くて、大きな建物がずっと続くのを見ていると
大阪より大都会に思える。 櫛田神社のあと、2〜3ヶ所回ってから
ラーメン屋を教えてもらい、そこで昼食。
家族の幸せを祈って、手を合わせた。 さて、よそ者の願いを 受け入れてくれるのだろうか。 |
タクシーの運転手に教えてもらった ラーメン屋 中は結構、広い。 |
麺・スープの味とも熊本ラーメンより ここ博多ラーメンのほうが 私好みである |
博多→小倉→門司港に 14:12着。
ここには、歴史的建造物があるというので、フェリーの時間まで
1時間強の散策時間をとっていた。
旧三井倶楽部がほんの駅前にあり、結構ゆっくり見ていたら
ここだけで時間切れ。フェリー5分で下関。
国の重要文化財指定を受けている 門司港駅。 緑青の色がいかにも時代を伝えている。 |
左に同じく重要文化財指定の 旧三井倶楽部。 ティンバーフレーム(木の枠組みの構造)と 切妻はチューダー調の外観 |
大正10年に建てられた三井倶楽部 ピンボケだけれど、ここに アインシュタイン夫妻が泊まった。 |
大正11年に来日した夫妻は この門司港辺りの雰囲気を、ことのほか 気に入ったと伝えられている。 |
当時のお風呂とトイレ だだっ広い。 | 林芙美子の資料室もあって 彼女がここ、門司の生まれとも知った。 |
春帆楼泊
旅の目的は天然のふぐを食べること。
違いがわかるのかと思い、前日のニューオオタニででも
ふぐのコースを食べてみた。
本日の結論。悪くはない。
ほのかな、本当に、ほのかなふぐの香りと甘味を感じるてっさ。
昆布で作った舟形に入れて、焼かれた極上の白子のおいしいこと。
でも、この差は、お値段の差に、匹敵するかな〜。
仲居さんが自ら給仕してくれたお鍋や味噌汁となると、もうこの差はわからない。
ただ、コースを通して、すべてが新鮮で上品で、癖のない味だった。
夫曰く、 " こんなに淡白で、味が少ないのに、どうしてみんなふぐ〜というのかな〜?"と。
前日、食べたてっさ 身のふちがちょっと、分厚い。 |
今晩のは、本当に薄くて お皿の柄が見えた。 |
左のお皿にあるのは、あさつきではなく 下関安岡町で作っている "鴨頭ねぎ"だという。 |
これだけ大きい白子を食べたのに、 全然、油っこくなかった。 もう一度食べたい味。 |
どんぶりぐらいのお鉢に 取り分けてもらった。 もう、お腹は、はちきれそう! |
お造りの切れ身のように切った 分厚いふぐは初めて。 コリコリしすぎて苦手。 |
食事をしながら、仲居さんの話を聞く。
昔、東シナ海でとらふぐが多く取れ、生簀に入れておくと、最後まで生き残ったのが"ふぐ"。
春帆楼の名づけ親の伊藤博文が、このふぐ料理を食したことで、禁制が解かれ
ここは、ふぐ料理公許第1号となったという。
隣接している日清講和記念館は、伊藤博文、李鴻章らの、日清講和条約が
締結されたところ。
数々の歴史上の舞台となった場所でもある。
昭和20年の戦災で全焼し、戦後まもなく、復興。
関門国道トンネル開通時と山口国体の際には、昭和天皇・皇后両陛下が
お泊りになられたともいう。
ピンボケで"春帆楼"の入り口 | 思ったより、こじんまりとしていた ロビー |
昭和天皇の泊まられた部屋 |
今の皇太子、元安倍首相なども この部屋で、会食されている。 |
通された20畳の部屋は広すぎて 落ち着かず。囲碁の"逍 治勲"が ここで名人戦の対局をした時の 記念の書が掲げてあった。 |
赤間神宮 壇ノ浦の戦いで幼くして亡くなった 安徳天皇を祀る。 平家一門を祀る塚もあり "耳なし芳一"の舞台でもある。 |
1/7(木) 新下関 10:54発で、時間に余裕があった。
タクシーの運転手に頼んで、赤間神宮や唐戸市場に寄ってもらい
ここでおみやげも買えた。
この度は、全体にゆっくりと、自分たちのペースで移動できたし
念願のふぐの味も体験できたので、まあまあ、いい旅でした。