水都大阪2009・淀川大改修から100周年
8月〜10月


平成21年8月22日(土)から10月12日(月・祝)までの52日間
水都大阪2009と題して、中之島を中心に、各種イベントが行われた。
開催趣旨として
   大阪は都心部に「水の回廊」を有する、世界でも、まれな都市である。
   この「水の回廊」を活用して、「水都大阪」を活性化する。
   2009年街づくり活動のスタートの年として、「水都大阪」を
   世界に向けて発信する。
これらの構想は、2年前、大阪府・大阪市・経済界等の官民一体の取り組み
として、発足したと聞く。

8月29日(土) そのイベントの一つに、中之島中央公会堂において
第一部として、中之島などで桜の植樹運動を推進してきた安藤忠雄氏の講演と
あと、平松市長との「水都大阪」の再生についてのトークがなされた。


第二部では 淀川大改修から100周年にあたる今年、これに身を投じて
大改修を成し遂げた「大橋房太郎」が、取り上げられた。
「治水翁・大橋房太郎を語る集い」の小川清さんによるお話を聞いた。


             昔のよど川青   今のよど川赤        屋根まで水びたしの高槻                 洪水まえの淀川 


当時の淀川は大きく蛇行していて、大雨の降るたびに氾濫を起こし、明治18年、
枚方辺りから大阪平野を一つの海となし、何百人もの死者が出たそうな。

その頃、今の首相、鳩山さんの曽祖父・鳩山和夫邸で書生をしていた
大橋房太郎は、新聞でその惨状を知り、急遽、大阪に戻った。
村長、府議として、たった一人から始めた活動が次第に賛同を得、
やがて国の河川改修法案を可決に導いたのであった。
時の内務相、後藤新平から「治水翁」といわれ、今もその功績が言い伝えられている。
今、豊かに流れる新淀川は、20数年もの年月をかけた大橋房太郎の
「一念岩をも通す」活躍の結晶の何ものでもない。


この大橋房太郎のひ孫でシャンソン歌手の中村扶実(夫の姉の娘)が
奇しくも100年という時空を越えて、大橋房太郎の市葬が行われた中央公会堂で
彼女による作詞作曲の「MIO澪ー水都物語」が初演された。
この日にあわせて、この原曲は、作曲家・小室弥須彦により
交響詩(多楽章の交響曲に対して、単一楽章の楽曲)に仕立て上げられた。
大阪音大の管弦楽団と市民による合唱をバックにして歌う彼女の姿、
それにも増して、母なる水・淀川への感謝を歌い上げる歌詞と
ふくらみのある美しい声に、熱い思いが胸に広がった。



水都大阪2009のいろいろなイベントがあったと聞いたが
そんなに強い印象は、残っていない。
宣伝もあまり、されなかったように思う。


暮れなずむ頃、天満橋から、中之島を見る。
大川の両岸のビルの陰の中に、ライトアップされた美しいラインの天神橋。
フランスのシテ島辺りや今年行ったベルギー・ブルージュ、オランダの運河に
少しもひけを取らない。



桜の咲く頃には、もっと素晴らしい景観となるだろう。
「水都大阪」を世界に向けて発信するという。
具体的にどんな風に展開していくのか、楽しみである。