名古屋へ
翌 10/13(月・祭)
家を出る前から、直通で大阪に帰らず、名古屋で降りることを考えていた。
徳川美術館は以前、きた事あるのでパスし、あと、いろいろ目指すところは
あったけれど、名古屋城に落ち着く。
名古屋城本丸御殿復元着工記念として、特別展が開かれていた。
家康の命により、西国20名の諸大名が負担した、石垣の刻紋を眺めながら
表二之門北側より入る。
最初にエレベーターで上に昇り
その後の分厚い木の階段の一段、一段の高いこと。
登りつめると、今の天守閣のそばに、更地が見えた。
ここに、本丸御殿が再建されるらしい。
360度の景観もさっと流し、下の階の "特別展" に入る。
名古屋城は終戦のわずか3ヶ月前に、金のシャチは5ヶ月前に
焼夷弾を浴びて、焼け落ちた事を知った。
戦火を逃れた狩野派画家による "花車図 " "竹虎図
"(ちっこず)の
杉戸は、今も色鮮やかである。
杉戸・・・半間幅の柾目杉板二枚をつぎ、一間幅の板戸に仕立てたもので
外枠に金蒔絵が取り巻いている
これらの巨大な杉戸絵や襖絵が、1049面も現存すると書かれていた。
明治26年、名古屋城が離宮となり
又、昭和5年に名古屋市に下賜された経緯がある。
離宮時代、使われていた家具や小物は、ほんの一部だったけれど
精巧で優美な品々だった。
又少しさかのぼって徳川時代の女性陣の豪華な日用品と
庶民の生活をうかがわせる道具類とが、ほんの近くに続いてあるのをみて
余りにも落差が大きく、ウーンと、うなってしまった。
でもこんなこと、世界のどの国にもある上と下の話。
まぁ、短い時間だったけれど、いろいろ "知る" を楽しみ
満足して帰ってきました。