近江八幡めぐり
2006年10月
10月11日(水)、12日(木)と、年一回の学生時代の友達らと近江八幡へ行ってきました。
近畿圏にいながら、何も知らない、行ったことがないというところが、なんと多いことでしょう。
家族の世話を終え、やっと自由になれても、オーディオオタクに陥っている夫を、家に1人おいて
出かける事に、何だか、後ろめたさがありました。
でも、友達やTVから、今頃のシニアの生活観を見聞きし、
夫も私も次第に、意識が変わって来たように思います。
出かける前に夫の食事など、用意万端していても、 "お出かけですか "
と、
何か心に引っかかるものの言い方をされていたのが、最近は心から " 行ってきていいよ
" とか
" なんとでもするから " と、言うようになりました。
多分、今年5月の私の入院で、彼も思うところがあったのでしょう。
以前、知り合いで度々、コンサートなどによく出かける人があり、 " お優しいご主人ですね !?"
と、言ったら "とんでもない !あの大病をしてからよ、出かけるようになったのは。
"
死ぬ思いをしないと、自由の身になれない、せねばならぬという自縛から解き放たれないとは
!!
なんと、いまだに、女性は家の中にいるのが、普通と思っている男性が多いのでしょうか。
さて、まず一番に近江商人の発祥の地、五個荘町(ごかしょうちょう)へ 近江商人博物館では、近江商法がいかに発展してきたか、 その家訓や暮らしぶりを見学 世に言われている " 商人の通った後は、ペンペン草も生えない " とは、 めっそうもない話で、多方面に活躍した足跡を見る。 近江商人屋敷めぐりをし、内には、質素倹約、客人には、手厚くもてなしたと うかがえる、屋敷の有りようがわかる。 |
泊りは " 休暇村 近江八幡 " 学生時代、カニ族になって泊まった国民宿舎や
ユースホステルとは大違い。足を一歩入れたときから、すべてがホテルのよう。
ちょっと違うところと言えば、食事を大広間でとることだけで、すご〜くお安い宿泊代でした。
翌日、近江八幡水郷めぐりで、手こぎの舟に4人の貸し切りで乗りました。
平日とあって、行き交う舟もなし。何ともゆったりとした時間が流れました。
葭(よし)の間を、のんびりと風に吹かれながら、時たま聞こえる鳥の声や
船頭さんの唄は、耳に心地よく、とてもご機嫌よろしい体験でした。
平日とあって、 暇そうな船着き場 |
いよいよ出発 | 電線が全く見えないので 時代劇に使われたそうな |
葭(よし)の間に、ほていあおい |
赤い実のからすうり ひび・あかぎれに効くらしい |
よくとおるいい声で、ふるさとや 祝い唄を唄ってくれた |
水面に映した景色の上を 滑るように静かに進む |
ほていあおいの薄紫の花 |
あなた任せの散歩でどこを歩いているのやら、そう、近江兄弟社やメンソレータムを興した
ヴォーリズ記念館(建築事務所、図書館、大学の建物らの設計や設立、又、医療、教育活動にも尽力した)も
さぁ〜っとながし、ステキな遊歩道や町並みを眺めているうち、お昼になりました。
和菓子で有名な " たねや " の食事処は、古い民家を移築したとか、とてもいい雰囲気でした。
食後、そばの日牟礼八幡宮〜八幡山にケーブルで登り、、あと、山頂までの山歩きの
なんとすがすがしかったことか!頂上に着き、眼下に見える近江八幡市が、
箱庭の如く小さく見えたのは、意外でした。
遊歩道 | 日本の重要文化的景観第一号 | たねやでの昼食 最後に出たきんつばは とても上品なお味 |
日牟礼八幡宮 |
遠くにかすむ琵琶湖 その手前に近江八幡市 |
日頃の | 運動不足が | コタエました |
ほどよい時間になり、山を下りてきたものの、まだ、満腹の状態で、皆、お茶を飲む気にもなれず。
たねやの真向かいに、洋菓子部があり、大阪の阪神デパートでよく並んでいた
あのバームクーヘンを売っていました。
お菓子に限らず、何か列を作っていると、とにかく並ぶという人がいました。
が、私は、反対に、列を見ただけで、避けて通るタイプなので、今時のもの、
人気のもの、ブランドなどに疎く、いつも笑われています。
でもこの度は並ぶことなく、人気のバームクーヘンを、買うことが出来ました。
楽しい時間はすぐに経ってしまいます。 " 次回も又、元気で会いましょう
! ! " と別れの言葉を掛け合い
それぞれ、おみやげを手に、帰途につきました。
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