生まれて初めて乗った、救急車
2006年5月
5/2(火) 夜中の3時頃から、腹部が痛み出しました。
前例もあることだし、又かという感覚で、かなり我慢しました。
点滴しても、痛み止めの筋注を両腕に打っても、まだ痛むのです。
とうとう、夕方、救急車で受診することになりました。
救急車ってとても乗り心地が悪い。まるで田舎のゴロゴロ道を走っているみたい。
採血、X線、エコー、CT、3人がかりで診ていただいたのですが、もう少し、様子を見ましょうと。
連休中は専門医がいないとのことで、同じ点滴するならと、又、家に帰ってきました。
その時の白血球数は15,000(正常9,000位まで)。
腹部全体が痛み、右の盲腸あたりも痛みました。
実は 5/3(水)〜5/6(土) 香港行きを計画していました。
久しぶりの本場中華料理・飲茶の食べ歩き、おすすめのエステなど、
本当に楽しみにしていましたのに・・・。
痛むお腹を抱えながら、旅行のキャンセル、予約していたレストランのキャンセルをし、
リビングのソファーで虫の息になっていました。2日〜4日、ずーっと水だけ。
5/5(金) なかなか、痛みも治まらなかったので、再度、受診。
急性虫垂炎。その場で入院。午後手術。
虫垂が盲腸の裏に癒着して、普通より、30分長い手術だったとか。
あっという間の事で、気が付けば、両足に血圧計が巻かれているみたいで
圧迫〜弛緩を繰り返している。エコノミー症候群の予防らしい。
天国と地獄
5/7(日) この日から個室に移りました。 妹と娘にだけは知らせていたので、大好きな花を届けてくれ、
又、家のスタッフ達も、果物やお花で見舞ってくれました。
ここは産婦人科の部屋だったので、女性好みのまるでホテルみたい。
腰板は淡いピンク、その上を上品なヨーロピアンテープがぐるりと部屋を巻き、
洗面所の壁紙は、まるでフレスコ画のようなタッチで、
うすいピンク地に溶け込むようなかわいいバラの花々。
術後は、下痢など少し、しますとは言われたけれど
5/7・・・5回 5/8・・・13回 と、とても寝ておれない。
熱が39.2度に上がったかと思うと、坐薬を入れ、あとはガタガタ震え出す。
これを何回も繰り返し、おまけに下痢が重なり、もうクタクタのへとへと。
5/2以来、口にするのは水だけ。術後3日間は、それもなし。
24時間つけっぱなしの点滴で治療・栄養補給しているので、お腹はすかない。
5/8(月) ずーっと寝たのか、寝てないのか、わからない。
その時間の経過の中で、私は不思議な体験をした。幻覚であった。それも楽しい幻覚。
ベッドのそばにある椅子の、背もたれの生地と、木枠の間から、絹のような透明に近い線が
吹き出し、きれいな造形芸術が、目の前に、展開される。
その椅子に " きれいネ〜? " とか、話しかけたら、その都度、返事をするかのように
ぷあ〜んと、吹き出してくるのです。部屋中が、蜘蛛の巣状態。
又、4月のシャンソン発表会の二次会が目の前に出てきて、
自分はベッドにいながら、皆としゃべっているのです。
こりゃおかしいと思い、目をパチクリしたら、現実の病室に戻れるのです。
この他にも、不思議な現象を何回か、体験しました。
異常な状態に置かれて、自分に超能力が備わったのかしらと、
その時は本当にうれしく思いました。
手術前も、術後もずっと眠れない日々があり、眠剤をもらって飲みました。
その後、上記のような現象が起こりました。こういう事は、よく、あるそうです。
偽膜性大腸炎
5/9(火) 毎日、血液検査をし、白血球 20,000、CRP(炎症反応) 32 と、知らされても、私には、わかりません。
20回の下痢で、へとへとになっていた午後2時、再びCTをとり,午後4時には大腸カメラをとると。
美人の女医さん、 " ちょっと痛いけど、ゴメンナサイネ?
" なんて、言う事とやること、違って、
ぐいぐい、カメラで内部を調べる。 " 腫れ物に触る "
なんてもんじゃなく、あまりの痛さに、
" アイタ !!" と叫びました。これで又、さらにくたくた。でも、
" 原因がわかりました。 " との言葉に
なんと頼もしさを感じたことか。
きつい抗生物質による " 偽膜性大腸炎 " でした。
大腸が内部で腫れ上がり、浮腫まで起こしていました。
その時から、治療方針が変わり、1日、1日良くなっていきました。
5/12(金) この日のお昼から、全がゆの食事。24時間点滴も終わり。
1週間、水だけだったので、体重減、楽しみにしていたのに、全く、変わりなしでした。
点滴の威力はスゴイ!!
5/13(土) お腹のドレイン(管)も抜け、普通食になりました。それも献立をチョイス出来るのです。
毎日のベッドメイキング、部屋の掃除、頼めば体の清拭、シャンプー等々、
仕事とはいえ、看護師さんは本当に、やさしい。
体調が良くなってからは、テレビを見たり、本を読んだり、CDやラジオを聞き、
カメラで、花を撮るほどの余裕も出てきました。
主人への感謝
術後、3日しても下痢が止まらなかった時、私は心底、" このまま、どうなるのかしら?
" と不安に駆られ、
その日も主人がかけてくれた電話の前で、思わず、泣いてしまいました。
毎日、来てくれていた主人が、その日は用事があるとかで、こられなかったことも、一因していました。
娘からも、 " お母さんが落ち込んでいるから、電話してあげてと言われて " と、かかってきました。
こんな心配りにも、又、涙。
我々二人、どちらが先にどうなるかわからない年令。
お茶しか入れたことのない主人に、常々、 " そんなとき、どうするの?
" と言ってました。
" 何とかなるわ " とは、いつもの言葉。
それが現実になった今、主人の生活は一変し、大変だったと思います。
問屋への支払い、当座への入金、自動車保険のインターネットでの更新、労働保険の支払い、
タイムカードのFAX送信、スタッフのお給料とつり銭の用意、税理士の月次訪問など、
数え上げたら、いくらでも出てきそう。
少し、落ち着いた頃、病室から、主人へ、又、それぞれの所へ連絡を取り、何とか、乗り切りました。
主人の年令を考えるとき、又、今まで何もしなかった人に、いろんな事を頼み、
その上、精神的にも、大きな支えになってもらったこと、私はどんなに、心強かったことか、
感謝の気持ちで、いっぱいです。
これを書きながら、またもや、涙がポロポロ。もうちょっと、キリッとしなくっちゃ。
明日は、いよいよ退院。2週間の病院生活ともお別れです。 2006.5.17
記