3月に入り、痛みの世界から、すっかり解放された。 ゆっくり、自分の時間が流れる。
   思えば、今こうしておられるのも、先生、特に看護師さんの手厚い看護のおかげ。
   患者が早く社会復帰できるような、行き届いたプログラムが用意されていた。
   図体の大きな赤ん坊同然の患者に、常時、気配りの手が差しのべられた。
   とても、職業意識だけとは思えない。
   わが身を差し置いて、他の人を思う、日本人独特の美徳
   多分、それに通じるものではないかしら。



   私の入院中、母が2月5日に、眠るように100歳の人生を閉じたと聞いた。
   その場に居合わせなかったこと、今思っても、悲しみのしこりとなって残っている。

   前もって葬儀屋に行ったり、お寺さんには挨拶しに行っていたが・・・。
   姪2人が、私の代わりとなって、滞りなく、母を見送ってくれた。
   どんな言葉でもってしても、表せないほどの感謝をしている。

   一方、娘には、私の仕事を1〜10まで頼み
   八面六臂の生活を余儀なくさせてしまった。

   3人は、かわるがわる夫の食事を運ぶなど、身の回りを気遣い
   互いに連絡を取り合っていたと聞いた。
   普段、行き来のない3人が、こんなことで心ひとつにして、助けてくれたこと
   本当にうれしく、改めて、暖かな血のつながりを強く感じた。
   そして、3月13日退院して来てからも、面倒をかけている。


   一つ間違えば、この世にいなかったかもしれない私です。
   助けてもらった人たちや、ご心配かけた方々、何かのご縁で結ばれている方々との
   貴重な絆を、これからも大切にし、保ち続けていきたいと思っています。

         
                                     2014.3.20 記