近頃の母
2013年1月


 



   1月10日 昼下がり、母が入所しているホームから、電話が入った。
   部屋で意識レベルの下がった状態で、首が後ろに下がっていた。
   今、救急車で搬送中と。
   その時、私は大阪駅の近くにいたので、すぐ家に帰り
   さる病院に決まったと連絡を受け、そこに駆け着けたのが4時半過ぎ。
   救急車に同乗してもらっていた、ホーム専属の看護師さんが、引き続き
   夜8時すぎまで、診断待ちに付き合って下さった。
   仕事とはいえ、長時間申し訳ないと思いながらも、心強かった。
   結果は、軽い心不全。全身に少しづつ水がたまっている状態で
   2〜3週間の入院が必要とのお話だった。


   思えば、100歳に近い母は、その親からもらった健康な遺伝子によるのか
   100年間、一本の虫歯もなく(全部、自分の歯)、肩が凝ったやら
   腰が痛いやら(膝は時々痛むと言ってたが)、こぼすことなく、過ごしてきたようだ。
   何事にも積極的で、人付き合い、人助けなどうまくやっていたように思う。
   それが何年前からか、友達もだんだん亡くなり、本人の意欲も下がってきて
   家にこもりがちになった。唯一、通販だけが社会とのつながりに思えた。
   そして、決定的だったのが、初夏にぬくぬくの毛糸のセーターを着て
   リビングに出てきた時だった。
   血の気が引く思いで、”今は季節は何?”と聞けば、わからないという。

   その後、いろいろトラブルが出てきて
   結局、グループホームにお世話になることになった。
   それも介護の程度が進むにつれ、グループホームから
   特別養護老人ホームに移った。
   初めて特養のホームを訪れた時、正常に見える人から認知症の最終段階に
   来ている人まで、それぞれが手厚く介護してもらっているのを見るにつけ
   感動さえ、覚えた。
   大声を出している人、ずっと怒っている人、その中で母はいつもニコニコしていた。
   いかに生きてきたかの証しを見たような思いがした。
   

   退院して初めて顔を見に行った。
   目を閉じて寝ている風だったけれど、声をかけたら、にこっとして
   ”懐かしい顔やね〜。涙が出るくらいうれしいわ〜!”と私の手を取る。
   とっくに私というものを認識していないのに・・・。夢にも思わぬ言葉だった。
   心うれしいと同時に、こんな母でも、まだ、人に喜びを与えうるのかと。


   入所当時は、母を入所させたことに何か、心のどこかに、わだかまりのようなものを
   感じていた。 それが今回のような不測の事態に対する対応の早さや
   スタッフの人たちの労を惜しまぬ行動に接し、心から安堵した。
   ・・・・・ここでよかった。
   高齢化に伴い、介護制度ができ、受け入れの施設も年々増えている。
   家族の負担や、さらには、老老介護の様々な重荷が
   デイケアやホーム入所によって、軽減されてきているように思える。
   私もその恩恵に浴している。ありがたいことである。