石山寺と瀬田川リバークルーズ
2008年3月


3/23(日)
       腰痛で安静にすべきところが、なかなか守れない。
       石山寺の梅見と門前の[洗心寮]で川魚料理の昼食。
       その後、外輪船による瀬田川リバークルーズに一時間
       という、お誘いに負けてしまった。
       石山寺には、紫式部が[源氏物語]を書いたと伝えられる[源氏の間]がある。
       当時の女流作家たちの手になる書き物のなかに、[石山詣で]という言葉がでてくる。
       そのお寺に悠久の時を越え、現代の我々も又、こうして参詣する。
       なんとも、不思議な感覚がよぎり、あらためて、
       受け継がれてきた歴史と文化の重みを、意識してしまう。
       山腹にみごとな梅園が広がって見え、ピンク・濃いピンク・白と
       固まらず、散らばらず、華やかささえ、かもし出していました。


       山を降りて、石山寺発 2:05 の外輪船に乗船。
       明治2年(1869年)、蒸気船[一番丸]が就航し、大津は栄えたのだが
       東海道線全通により、役割を終えた。
       今また、観光用に復元され、外輪汽船[一番丸]として、新たに就航を開始したとある。
       案内嬢に、広重の[近江八景]の中の[瀬田の夕照]とか、[石山の秋月]とか、
       説明されても、どの辺りをバックにしたのかはわからない。
       [南郷洗堰]はこれを境に宇治川や淀川となる。
       下の一番右の写真はよく見えないが、橋の欄干に、ぎぼしをかぶっているので
       多分、[瀬田の唐橋]だと思う。船が思いの外、速く、橋の全景のシャッターチャンスを逃した。
       クルーの服装も時代を帯びた風情で、中に乗るより外から、眺めるほうが素敵だった。
       残念なのは、乗る人がとても少ない。
       100人乗りの船に降りてきた人二人、乗る人我々五人のほか、三人。
       な〜んか、しょぼくれている。このままでは、先が見えている。
       歴史ある石山寺でさえ、春夏秋冬、いつ来ても
       人々の目を楽しませる努力をしているように思う。
       梅のあとも、水仙、桜、ボタン、紫陽花など、出番を待つかのように植えられていた。
       琵琶湖の外輪船ミシガンやビアンカは、名前だけはよく知っている。
       瀬田川リバークルーズも、もっと存在をアピールし
       それに見合うエンターテイメントなり、内容の充実をはかってほしい。



トップへ