京都行き(源光庵としょうざん光悦芸術村)
2008年11月
話が前後するが、11/13(木)、奈良行きの前の週、学生時代の友達と
京都へ一泊で、紅葉狩りに行った。
JR京都駅にお昼前、集合。駅近くの宿に荷物を預け、午後から、行動開始。
鷹ケ峰にある " しょうざん光悦芸術村 " と、その先にある源光庵を目指した。
660年余り前、臨済宗の源光庵として開創され、約350年のち
加賀大乗寺27代卍山道白禅師があとを継ぎ、これより、曹洞宗となった。
本堂の丸窓は " 悟りの窓 " (円は大宇宙を表す)、
角型の窓は " 迷いの窓 " (人間の生涯を表し、生老病死の四苦八苦を表す)という。
同じ壁側に二つ揃えているのが、とても、斬新。
本堂内の " 血天井 " は伏見桃山城に残っていた血の手形や
血の足跡のついた板で、造られたという。 あまりにも生々しい。
1600年、徳川家康の忠臣・鳥居彦右衛門元忠一党1800人あまりが
石田三成の軍勢と交戦し、多くが討ち死にしたあと、残る380人余りが
自刃して、相果てた。そのときの恨跡と記されていた。
天井板として使う事で、死者の霊を弔っているのだと思う。
しょうざん光悦芸術村の名は、江戸時代の初め、本阿弥光悦が、この地、鷹ケ峰に住み
鷹ケ峰芸術村を開いた事に、由来するのでしょう。
35,000坪の敷地に教会、プール、ボーリング場、和・洋・中のレストラン・宴会場
染色工芸館、庭園など、一日、遊べるようなゾーンである。
我々はもみじを見に来たので、まず、庭園へ、足を運ぶ。
鷹ケ峰の山々に囲まれて、庭園の木々も、その中に同化しているよう。
道の両側に変わった姿の台杉や、大きな樽で造った茶室など
他では見られないものだった。
赤い葉ばかり、捜し求めてやってきたけれど、山々の黄〜オレンジに色づいたのも
とても自然で、かえって心を和ませる。
庭園を出て、喫茶店でホッと一服してから、宿の方向へ。
岡山、愛知、滋賀と遠方から集まっているので、宿は帰りの足の便のいいように
京都駅近くにし、夕食は外食にした。好きなものを適量食べるために。
翌日、来年の桜のころを楽しみに、又、会いましょうと別れた。